千代能比丘尼物語
2023年8月22日
22:42
千代能比丘尼物語
鎌倉時代、臨済宗尼僧、安達千代能(ちよの)が、「千代能が抱く桶の底ぬけて 水たまらねば 月もやどらず」そう、自らの悟りを謳ったと言う。水桶に写る月とは、いったい何の暗示なのか? すでに知っている読者もいるかも知れないが、もし本当の自分の自分が出現すれば、この世界は水面に映った月のようなものかも知れない。
修練とはなんのためなのか? 自らの過去を捨て去るために出家する千野陽だ。
美しい女がいては修行ができぬと? そういわれた千代能は自らの顔を火箸で焼く。
顕日が自分の怒りを捕まえたときも、最初、怒りは顕日そのもので、怒りの中に顕日がいた。怒りと顕日は同じものだった。だが無学老師の巧みな誘いと受け流しで、ふとした切欠が生まれ、顕日はその自分そのものであると思い込んできた怒りを、奥に隠れていた見知らぬ自分が、照らし見ている事に気づいたのだ。その者を仏の宿り主と答えた。あたかも眠っていた自分の本体が、束の間、目覚めたようであった。
2023/07/09 畑三四郎
さて、千代能の悟りとは?