HT346のブログ

世界の真実と心の関係を求めて

中共はなぜ法輪功を恐れるのか?

 法輪功はなぜ良いのか、最近分かった背景。

 あなたが神様ならこの地上の世界をどのように見るでしょうか? 

 この世界は我々が見ることのできない無数の次元から成り立っていますが、他の次元を見るには、心を磨くしかありません。今の科学では無理でしょうね? UFOを操縦する宇宙人でさえも、我らの次の次元を見て、行き来できる程度ではないでしょうか^^。

 だって、この世を作った神様が無限ですから、つまり神様にとって、外面の世界には、必ず自らが定めた法則が存在し、神さえもそれを守らなければなりません。しかし実態は、この多次元というのは無数、限りなく無限に存在するのです。彼は万能でありながら、自らを縛って、人間の世界とそれを取り囲む他の世界を守っているということですね。会社の社長さんが取締役会で決めた会社規則を守らなければならないのと同じです。

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しかし、神様にとって、一番大事なことは、人間の心の在り様とその変化です。極論すると、それ以外、人間のやることなすことには感知していない可能性すらありますね。

 善を重ねてゆけば、人の心は明るく輝き、他の次元を受け入れられる感受性も育ってゆきますが、悪を重ねれば、その逆に業を重ねて、心は暗くなり、自己中心的になり、この地上の物欲と執着に支配されて、がんじがらめの人生を送ります。 そして、この物質世界の中で生死を繰り返すことになります。

 神様は、我々がこの世で何を作り、何をしているかに興味はなく、我らの心の変化を、ひとりびとりその万有の力を使って、丁寧に見ていると言えるでしょう。

 これは私の持論ではなく、私の師、李洪志先生の教えをかいつまんでいることですが、個人的な実際の体験として、物欲と執着から自らを離したときに、他の次元の消息を、本当に感じることができるのです。それは、新しい価値観の始まりです。生まれ変わった人生とも言えます。

 宗教的に感じるかも知れませんが、そうではないのです。どこにも強制がなく、礼拝形式もなくしばりつける組織もなく、物欲や執着をわきに置いたときに、見える真実の世界をお伝えしているだけなのです。そして、次元が無限にあるように、その真実の世界の光景も、人それぞれ、感じた人の分だけ存在するのです。世界はそれほど懐が深く、浅はかな唯物論ではとらえようがないのですね。

 私見で、法輪功を習っているひとりの修練者としての考えですが、他の次元の真実を感じるために、気功があり、それによって、肉体も心も浄化しますから、別に病気治療などは行わなくても、持病などの病気が消えてなくなるという副産物が現れます。

 どんなことをするのかというと、

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    ①  主に「轉法輪」という本を読みます。これに法輪功のすべてが書かれています。

ja.falundafa.org

    ② 気功を習います。

ビデオ;

ja.falundafa.org

 これは早朝と夕方、公園や広場に時間を決めて集まって、規定の音楽に合わせて五つの気功を習います。連続して一時間半程度です。用事があるひとは途中でやめてもよいのです。できなかった部分は家に帰ってやります。①、③、④は所謂動作のゆっくりした気功です。もちろん、近くに仲間がいなければ、家での独習でも問題ありません。

②は立ち瞑想です。⑤は実際に座禅を組んで印を結びながらの本格的瞑想に近いです。

    ④ あと、頑張る人は、週に一度ほど、何人かで集まって、本を読んでの勉強会をしています。

 

 教えの基本は、真、善、忍と、至極シンプルで、やろうと思えば誰もができること。

ここで、ちょっと話は変わるのですけど、

鈴木祐さんの「不老長寿メソッド 死ぬまで若いは武器になる」

www.youtube.com

この解説ユーチューブをたまたま見たのです。その中で、最新の研究成果として、若さを保つために必要な肉体のメカニズムを解説していた。そのメカニズムが法輪功の修練のありように非常に酷似していたからビックリ。人間の持つ回復力を最大限に発揮させる理由、様々な病気が副次的に治ってしまう理由がわかった気がしました。原理的には、

第一段階 苦痛:自分の心と体に意図的にダメージを与える。

第二段階 回復:心身が受けたダメージを徹底的に癒す。

第三段階 往復:苦痛と回復のフェーズを繰り返す。

法輪功では過激な運動とは違い、ゆっくりした動きあるいは静止の状態を保つことで、苦を作り出し忍を養いながら、心をこの世のあらゆる執着や欲望から離してゆくことを修練します。座禅で苦を作りながら、心を平安と静けさに満たしてゆく。人の世の様々な軋轢や葛藤はすべて執着として、自分の心から遠ざけてゆく。

 自分の心や感情に気づいていられない人はできないかも知れませんが、普通の人なら必ずできます。そして、それができれば、欲望に対しては淡泊であろうとすることはそれほど難しいことではありません。この世のこと、すべての社会的なことには、何の重要性も置かない。ただ、善い人であろうとする。自分にダメージを与えられようと、善い人であろうとするのです。

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 それは不必要なストレスを作り出しているのと同じ。しかし、その苦は、毎日の修練で完全に消え去りますね。まさに上記1から3のフェーズが毎日繰り返されていたのです。さすが、われらが師、李洪志先生です。

私は、「あなたの糖尿病は治らない」と医者から言われて、毎日薬を飲んでいたのですが、薬をやめて、丁度一年経つのです。もっと驚いたのが生きているのが不思議なくらい酷かった妻の心臓病や骨異常によるひきつけが噓のように治ってしまった。

真実に生きるとは、噓をつかずに他人に善いことをすることでとても単純です。そのためにも耐え忍ぶことです。そして、日々リズムのある生活を気功で整えることです。

 心が洗われて、静かになるほどに、今、この現実の一皮むこうに違う次元があることに気づかされます。それはとても微妙ですが、とても素晴らしい世界です。

 

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